粗忽長屋で蒟蒻問答

無駄な方便、無用の用、脳味噌を棚卸する、そんな雑草咄しと落語と書見

自然の摂理

先日、田舎のおふくろから電話がかかってきた。

滅多にないことなので、仕事中だが、なにごとかと思って電話に出てみると、まとまりのない、たわいのない話をしはじめる始末である。

 

こちらは仕事中である。

母親とは用件を話せない生き物なのか。

解せない。

 

なにやら、姪っ子が意中のバンドの追っかけのようなことをやっていて、髪の色を紫だか青だかに染めていることにぶつぶつと文句を言っている。

 

こちらは仕事中である。

好きにさせてやればいい。

髪の色がどうしたというのだ。

まわりの景色をよく見るがいい。

木々や野草が色とりどりの花を咲かせているではないか。

ベースの色はグリーンでありブラウンであっても、花の色はそれこそ百花繚乱、桜のピンクにあじさいのブルー、薔薇のレッドにと、思い思いの色に染めている。

色に染まることは自然なことではないか。

白黒でなければならない道理などない。

 

と諭してやれば、少々の間のあと(納得したのか?)、こんどは、いい歳した娘のやることではないと反論し出す。

 

こちらは仕事中である。

若木だけでなく、成木、老木も見なさい。

花でなくとも色鮮やかな果実をつけるだろう。

あかい林檎、だいだいの蜜柑、きいろい檸檬、むらさきの葡萄。

色づくことは自然の摂理なのだ。

歳は関係ない。

 

こちらは仕事中である。

不承不承とする電話先に、で、用件は結局なんなのかと押しきると、今年の秋に親類の法事があるからあんたも出なさいという。

 

そんな先のことをなぜに、このタイミングで連絡してくるのか。

 

自然の摂理に反する電話に、脱力するしかなかった。