粗忽長屋で蒟蒻問答

無駄な方便、無用の用、脳味噌を棚卸する、そんな雑草咄しと落語と書見

ちょうどよいテロテロさ

からだを締めつける服が嫌いである。

 

よって、タイトな服は一枚も所持していない。

 

もっとも、メタボ化後、タイト化してしまった服はある。

背広はそれで買い替えするという、身も蓋もない始末が多い。

私服のほうは、それゆえ、つねにワンサイズ上を買うことにしている。

 

服にこだわりはまったくない。

 

と、言い切っていた自分がいたが、最近、気づいたことがあった。

 

じつは、こだわりがあったのだ。

 

それは、家着の「トレパン」にである。

パンツやジャージではない。あくまでもトレパンと呼称したい。

 

このトレパンの腰のゴムと裾の、ちょうどよいテロテロさ。

 

これがしっくりこないと、なぜか心もとないというか、落ち着かないというか、どこかソワソワしてしまう。

これは徹底的に着たおして、作り上げていくものでもある。

気づかぬうちに自然と、生活のなかに溶け込んで醸成されていくものとでもいえようか。

 

だが、ちょうどよいテロテロさは儚い。

儚く、終わりをむかえる。

ゴムが伸びて、腰と尻がらズレ落ちる日がやってくる。

 

……最近、新しいトレパンをはいている。

 

どこか落ち着かない。